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西行辞典

件名: 西行辞典 第364号(180210)
2018/02/10
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      ◆◆◆◆  西行辞典  ◆◆◆◆
                        
                  vol・364(不定期発行)
                   2018年02月10日号

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         今号のことば    

         1 御法 02 
         2 御墓 
3 みほかさき

御骨→第350号「まつり・まつる・奉る(02)」参照

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          ◆ 御法 02 ◆

【御法】 

(みのり)と読みます。仏法のこと。仏教の経典のこと。

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02 をしみおきしかかる御法はきかざりき鷲の高嶺の月はみしかど
            (岩波文庫山家集244P聞書集140番)

○をしみおきし

密教の秘説で、決して文字や言葉にして公に説かれることのない
経典を言います。

○かかるみ法

優れていると思った仏典のこと。「通達菩提心」という仏典です。

○鷲の高嶺 

インドにあって、釈迦が無量寿経、法華経などを説いた山とされて
います。鷲の形をした山で原名「グリゾラ・クーター(鷲の峰)」と
呼ばれていたそうです。そこから、霊鷲山(りょうじゅせん)とも
言われます。余談ですが比叡山は「鷲の山」の別称があります。

○みしかど

品詞で言えば(み)(しか)(ど)と3つに分解できます。問題は
(しか)です。(しか)は普通は副詞や終助詞になるようですが、
ここでは過去の助動詞「き」の已然形(しか)です。
「しか」も、いろいろあって迷います。
(みしかど)で「見たことがあるけれど」という意味になります。

単純に鷲の山の月を見たということではなくて、鷲の山や月に
込められている真如性を言っていると解釈できます。

(02番歌の解釈)

「惜しみ秘しておいたこのような仏法は聞いたことがなかった。
霊鷲山の月を見て久遠実成の釈迦についての教えを知っては
いたけれど。」
                (和歌文学大系21から抜粋)

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          ◆ 御墓 ◆

【御墓】

貴顕のお墓の尊称です。ことに皇室のお墓を言います。
西行全歌集では、「中将の御墓」のみ「み」のルビがあります。

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     白峰と申す所に、御墓の侍りけるにまゐりて

01 よしや君昔の玉の床とてもかからむ後は何にかはせむ
         (岩波文庫山家集111P羈旅歌・新潮1355番・
            西行上人集・山家心中集・西行物語)

○白峯

「しろみね」が正しい読みのはずですが辞書類では「しらみね」と
表記しています。あるいはどちらでも良いのかもしれません。
讃岐の国綾歌郡松山村白峯、行政区は現、坂出市青海町です。
白峯は高松市と坂出市にまたがる五色台の一部であり、四国霊場
第81番札所の「白峯寺」があります。
私が2012年7月に行った時は、厳かな感じのした墓所でした。

○よしや君

すでに崩御している院に対して「君」としていますが、この歌の
場合の「君」は、生前の院との関係を偲び儀礼を越えての、より
直情的な響きを伝えてきます。
「よしや」は「たとえ…」「仮に…」という意味を持ちます。

○玉の床

美しく飾られた天皇の寝所を言います。
天皇の地位や権威、生活の全般をさしていると解釈できます。

○かからむ後

現世での生が終わった後には……どうにもならないという悲嘆の言葉。

(01番歌の解釈)

「都の昔お住みになりました金殿玉楼とても、上皇様、あなた
様がお亡くなりになられました後は何になりましょうか。
何にもなりませぬ。」
            (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

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     近衛院の御墓に、人に具して参りたりけるに、
     露のふかかりければ

02 みがかれし玉の栖を露ふかき野邊にうつして見るぞ悲しき
          (岩波文庫山家集202P哀傷歌・新潮781番・
                  西行上人集・玉葉集) 

○近衛院の御墓

第76代近衛天皇の陵墓のことです。現在は安楽寿院にあります。

○人に具して参り

行く人がいたので一緒に連れ立って行ったということ。

○玉の栖
  
(栖)の読みは(すみか)。(玉の栖)は御所、御殿のこと。
きらびやかな生活をしていた立場を言います。

詞書は1155年7月に崩御した近衛天皇のお墓に人と一緒に、お参り
したということです。詞書の文言からは崩御後、いつ頃にお参り
したのかはわかりません。
詞書と歌の感じから、崩御後ほどなくして墓参したものだろうと
思わせますが、天皇のお墓に一介の僧侶がお参りできることが、
当時であればできたということなのでしょう。

○野邊にうつして

宮廷にいたけど死亡したので亡骸を葬地に移したということ。

(02番歌の解釈)

「磨きぬかれて美しい御所の住家から、露の深い野に住まいを
移されることになりました。その事を目の当たりにして、悲しみ
ばかりがつのります」
            (新潮日本古典集成山家集より抜粋) 

露は涙、うつすは移すとともに写すを掛けています。含蓄のある
歌だと思います。 

(近衛院とお墓)

近衛天皇は第76代天皇。1139年生、1155年没。17歳で夭折しました。
在位15年。鳥羽天皇の第八皇子とも第九皇子とも資料にはあります。
母は美福門院藤原得子。崇徳天皇の養子として皇位について践祚
(せんそ)しました。この近衛院崩御後は後白河天皇が第77代
天皇となっています。
このことにより、崇徳上皇の不満は高まり、1156年に鳥羽上皇が
崩御すると、保元の乱が起こりました。
   
近衛院のお墓は、現在は安楽寿院南陵と言われています。二層の
塔があります。
ここは、もともとは美福門院が自分の死後の墓所として建立した
ものです。ところが1160年に没した美福門院は遺言により高野山に
葬られました。
そこで、1155年に没して洛北の知足院に葬られていた近衛天皇の
遺骨が1163年に、ここに移し納められました。したがって、船岡山
の西野で火葬にされたと記録にある近衛院のお墓は、8年間は知足院
にあったということです。

この歌が詠まれた年代が確定できませんので、西行が墓参した場所は
知足院か安楽寿院なのか確定はできません。歌から受ける印象では
崩御後年数のたっていない知足院での墓参ではないかと思います。
尚、知足院は紫野雲林院近くにありましたが、中世に廃絶しており、
資料に名をとどめているばかりで現在はありません。
現在の近衛院陵は豊臣秀頼の寄進によるものです。

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     五十日の果つかたに、二條院の御墓に御佛供養しける
     人に具して参りたりけるに、月あかくて哀なりければ

03 今宵君しでの山路の月をみて雲の上をや思ひいづらむ
         (岩波文庫山家集204P哀傷歌・新潮792番)

○五十日の果つかた

没後50日の法要を言いますが、現在の49日の法要なのでしょう。
49日までは喪に服していて、50日目が忌明けということです。

○二條院

第78代天皇。後白河天皇の嫡男。後述します。

○ニ條院のお墓

現在の西大路通りの西側、等持院の少し東にある香隆寺陵です。

○雲の上

字義通り雲の上の事。転じて宮中や位階としての天皇の立場など
を指しています。

(03番歌の解釈)

この歌は1165年に詠まれた歌のはずです。ニ條院の墓所で五十日の
法要が営まれ、その席に読経などする人と一緒に行きましたが、
ニ條院を哀れに思って歌を詠んだということが詞書の意味です。

「今宵、君(ニ條院)はあの世で死出の山路の月をご覧になって、
雲の上のこと、生前の宮中のことを思い出しておいでになるだろう。」
         (渡部保著「西行山家集全注解」より抜粋) 

西行はニ條院とは個人的に親しい関係にはありません。その親しさの
度合い、西行の心情的な距離ということもあって、この歌は哀傷歌
とはいえ西行自身の悲しい感情が伝わってくるものでもなく、単なる
儀礼的な歌ともいえます。
03番歌の後に二条院に仕えていた三河内侍との贈答歌があります。
三河内侍は寂念の娘です。

    御跡に三河内侍さぶらひけるに、九月十三夜
    人にかはりて

◎ かくれにし君がみかげの恋しさに月に向ひてねをやなくらむ
     (西行歌)(岩波文庫山家集205P哀傷歌・新潮793番)

◎ 我が君の光かくれし夕べよりやみにぞ迷ふ月はすめども
   (三河内侍歌)(岩波文庫山家集205P哀傷歌・新潮794番)

(ニ條院と陵墓について)

ニ條院は後白川天皇の第一皇子として1143年に生まれました。
後白河天皇の後を継いで1158年に第78代天皇として即位しましたが、
1165年に病没。23歳でした。子に第79代の六條天皇がいます。
この六條天皇も13歳で夭折しています。弟に以仁王、高倉天皇、
妹に式子内親王などがいます。
平家物語巻一で少し記述がありますので抜粋します。

「七月廿七日、上皇ついに崩御なりぬ。御歳廿三。(中略)香隆寺
のうしとら、蓮台野の奥、船岡山にをさめ奉る。御葬
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