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西行辞典

件名: 西行辞典 第350号(170610)
2017/06/10
  (藤原公能歌)(岩波文庫山家集179P雑歌・新潮934番)

○新院百首

崇徳院が題を出して、14名の歌人に詠ませた久安百首のこと。
藤原公能も作者の一人に選ばれています。
崇徳院には別に百首歌がありましたが、散逸して現在には残って
いません。

○奉るとて

崇徳院に「久安100首」のための歌を差し出すこと。

○家の風

徳大寺家の歌の特質的なことを言います。
ただし徳大寺家は実能が興したものですから、家の風というほど
の歴史は無いと思います。実能以前にさかのぼって言っていると
解釈したほうが良いのかもしれません。

○和歌の浦

和歌の神と言われる「玉津島明神」が紀伊の国、紀の川河口の
和歌の浦にあります。和歌に関しての歌で、よく詠まれる歌枕です。

(07番歌の解釈)

「さすがに徳大寺の家風をよくお伝えになっていて、素晴らしい
歌をお詠みになられますね。」
                (和歌文学大系21から抜粋)

(藤原公能歌の解釈)

「確かに徳大寺家は和歌の家であるが、和歌の浦に貝がある
ように、詠むだけの価値がある和歌なのかどうか、見ていた
だけませんか。」
                (和歌文学大系21から抜粋)

「この百首に公能の立場は重いものであったが、その作品をまず
西行に下見させたことは、徳大寺家に関係を持つ西行が、内部に
おいては歌人としてすでに大きく認められていたことを知る証拠
にもなる。」(中略)
          (窪田章一郎氏「西行の研究」から抜粋)

【藤原公能】=【右大将きんよし】

藤原実能の嫡男の藤原公能のこと。「徳大寺公能」とも言います。
1115年生。1161年、47歳で没。
最終官位は正二位右大臣。西行より三歳年長です。
第76代近衛天皇と第78代二条天皇の二代の皇后となった藤原多子の父。
その他に、後徳大寺実定や公衡(養子)などの父です。
藤原俊成の妹と結婚したため、俊成は公能の義兄にあたります。
「久安百首」歌人の一人。「学才あり、管弦に秀で…」と、寂超の
作と定説のある「今鏡」に記されています。

公能の右大将(右近衛大将)任官は1156年のこと。以後、公能は
権大納言、右大臣なども歴任していますが、終生、右大将を兼任
していたようです。

03番歌の「新院百首」とある崇徳院による「久安百首」が成立した
のは久安6年(1150年)であり、この時には公能はまだ右大将では
ない。公能の右大将任官は1156年のことですから書写した人のミス
ではないかとも思いますが、必ずしもミスとは言えないようです。
西行自筆稿に「右大将」と記されていたのであれば、西行よりも
30年ほど前に没した公能の最終官位を西行が記述したとしても、
少しも不思議なことではないと考えます。
これと似たことですが、慈円の場合は、「慈鎮」と諡号されたことを
西行は当然に知りません。「慈鎮」と諡号されたのは1237年ですから、
西行死亡後50年近くが過ぎています。それなのに山家集では「慈鎮」
とあるのは、西行自筆ではなくて、後世の人が加筆したことを意味
しています。

 下紐はとけずはとけず小夜衣そのうつり香にしむ身ともがな
                  (藤原公能 久安百首)

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     佛舎利おはします。「我さきだたば迎へ奉れ」とちぎら
     れけり

08 亡き跡のおもきかたみにわかちおきし名残のすゑを又つたへけり
             (岩波文庫山家集257P聞書集230番)

この歌の前に下の詞書と歌があります。

     申すべくもなきことなれども、いくさのをりのつづきな
     ればとて、かく申すほどに、兵衛の局、武者のをりふし
     うせられにけり。契りたまひしことありしものをとあは
     れにおぼえて

  さきだたばしるべせよとぞ契りしにおくれて思ふあとのあはれさ
             (岩波文庫山家集257P聞書集229番)

○佛舎利

釈迦の遺骨のことです。日本にも多数あるものと思われます。
五重塔は舎利を納める目的で造られました。
西行にとって兵衛は最も親しい女性歌人でしたし、その死後の
仏事を託されてもいました。貴重な遺産である仏舎利をも兵衛は
西行に委ねていたことがわかります。
この仏舎利は一説には待賢門院から兵衛に渡り、兵衛から西行
にと伝えられたものだそうです。
しかしその後、この仏舎利がどうなったのか聞きません。西行
死後にでも、どこかの舎利殿にでも納められているといいのですが、
どの資料にも触れられていないようですので、行方不明なのでしょう。

○おもきかたみ

「重き形見」のことで、釈迦の遺骨を言います。それが永く伝え
られて来た歴史を指しています。

○わかちおきし

兵衛局生前からの約束通り、仏舎利が西行に預けられたことを
言います。

○契りたまひしこと

前歌の詞書中の文言ですが、記述しておきます。

臨終に際して「しるべ」となることを、生前に兵衛の局と約束して
いたことを言います。それ以外にも兵衛の局が保管していた仏舎利の
問題もあったものでしょう。

(08番歌の解釈)

「仏が亡くなった後の貴重な形見に分けておいた遺骨の行く末を、
また改めて私に伝えたよ。」
               (和歌文学大系21から抜粋)

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09 佛には櫻の花をたてまつれわが後の世を人とぶらはば
            (岩波文庫山家集31P春歌・新潮78番・
        西行上人集・山家心中集・千載集・西行物語) 

○佛には

死亡した西行自身を「佛」として、客観的に詠んでいます。
この歌は西行の辞世の歌のようにも思われますが、そうではなくて
西行死亡年よりもはるかに早い年代に詠まれた歌です。

○花をたてまつれ

自分の死後は墓所に桜を供えてほしいという西行の希望。

○後の世

個人が死亡した後の世界。来世のこと。

(09番歌の解釈)

「自分の死後、後世を弔ってくれる人があるならば、自分の
最も愛する花である桜を供華として供えてほしい。」
            (新潮日本古典集成山家集より抜粋) 
 
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       ◆ まだ・・・(01) ◆

【まだ・・・】

山家集でも「まだ」という言葉は、下の用例歌でも理解できるように、
現在と同じ意味で用いられています。

 霞まずは何をか春と思はましまだ雪消えぬみ吉野の山
            (岩波文庫山家集19P春歌・新潮11番・
              西行上人集追而加書・続後撰集)

「まだ」は「今もなお・・・」「未だに」という意味で、現在時点
でも完結していず、前の状態が続いている続いている様子を表して
います。この言葉自体は平易な言葉でもあり、わざわざ項目化して
いないのですが、少し気になる言葉もあり、4首のみ記述します。

04番歌の「まだ」は岩波文庫山家集にたくさんあるミスの一つです。
正しくは濁点のない「また」であり、「又・再び」という言葉です。
濁点のあるなしの違いですが歌の意味は大きく異なってきます。

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     春の月あかかりけるに、花まだしき櫻の枝を
     風のゆるがしけるを見て

01 月みれば風に櫻の枝なべて花かとつぐるここちこそすれ
         (岩波文庫山家集25P春歌・新潮1069番・
              西行上人集追而加書・夫木抄)

○まだしき

事態が今までと同様であることを表す「まだ」は形容詞シク活用の
終止形「し」が接続して「まだし」となります。現在では「まだ」、
「まだし」は同時に語幹として扱われています。
語幹とは活用する言葉の、どのような活用形に対しても変化しない
部分を言います。
「まだし」に助動詞「き」が接続して「まだしき」です。

意味はまだその事態にはなっていない、ことを表します。ここでは
桜の花はまだ咲いていないという意味。

 五月来ば鳴きもふりなむほととぎすまだしきほどの声を聞かばや
                  (伊勢 古今集138番)

○枝なべて

(なべて)は「並べて」と書き、すべて、一帯に、全般にという意味
です。(枝なべて)で、枝のすべてが……ということになります。
和歌文学大系21及び新潮版山家集では「枝なべて」は「枝なえて」と
なっています。
(なえて)は萎える様を言い、ここでは枝がなよなよとなっている状態、
風で少し揺れている状態を言います。

(01番歌の解釈)

「月を見ると、月の光で春風に桜の枝がゆれているのが見え、
花が咲いたと告げているような心地がするよ。」
            (新潮日本古典集成山家集から抜粋)  

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  (後記)

時はすでに梅雨に入っているのですが、本日は真夏を思わせる良い
天気で、気温は部屋の中で30度越え。暑い一日です。
この号を仕上げるべく家に閉じこもってパソコンに向かっています。

2005年8月10日にこの西行辞典を始めてから、もうすぐ丸々12年。
2002年4月15日の「西行の京師」からは15年超。この間、ガン手術
などの紆余曲折もありましたが、筆を折らずに何とか続けてこられた
こと、奇跡的なことだとも思います。
読者の皆様方に感謝しながら最後までやり続ける覚悟です。

5月25日に大阪鶴見緑地。6月2日に比叡山。各一日を過ごしました。
あちこちに行くことはうれしいことです。意識せずして見聞を広めると
いうことにもなっているのでしょう。
できれば近いうちに滋賀県蒲生野あたり、高槻の伊勢寺あたり、その
他にも行こうと希望し
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