まぐまぐ!
バックナンバー

西行辞典

件名: 西行辞典 第342号(170129)
2017/01/29
************************************************************

      ◆◆◆◆  西行辞典  ◆◆◆◆
                        
                  vol・342(不定期発行)
                   2017年01月29日号

************************************************************

         今号のことば    

       まかり・まかる 08

************************************************************ 

       ◆ まかり・まかる 08 ◆

【まかり・まかる】

動詞「まかる」の連用形です。出る、行くという言葉の謙譲語・
丁寧語として使われます。

西行歌にはたくさんの「まかり」が使われています。ほぼ同じ行為を
表す「行く」「参る」「詣でる」「まかる」を使い分けているのは、
それなりの必然があったからでしょう。
西行本人の歌に対しての感覚や言語センスに基づきながら、人物や
事象との距離感がいくつかの言葉を使い分けた原因ではないかと
思います。
また、歌の韻律になじみにくいと思われる「まかる」の用法は、ほぼ
詞書に用いられています。それも西行の見識の一つでもあったのでは
ないでしょうか。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

      あづまの方へ、相知りたる人のもとへまかりけるに、
      さやの中山見しことの、昔になりたりける、思ひ
      出でられて

45 年たけて又こゆべしと思ひきや命なりけりさやの中山
         (岩波文庫山家集128P羇旅歌・西行上人集・
                   新古今集・西行物語)

○あづまの方へ

二度目の奥州行脚の時の歌です。京都から見たら「あづま」は広義
には逢坂山以東を指しますが、この時には伊勢を出発して平泉に
行きました。だから平泉を指していると解釈して良いでしょう。

○相知りたる人=【藤原秀衡】

この歌にある「相知りたる人」はそのまま解釈すると誰か不明です。
藤原秀衡の個人名は山家集にはありません。西行上人集などにも
「秀衡」名は出てきません。もちろん「藤原秀郷」名も出てきません。
西行は出家後の若い頃に陸奥旅行をしています。その時に秀衡と
面識があったと解釈できますから「相知りたる人」とは藤原秀衡と
断定して良いでしょう。
                         
藤原秀衡は生年未詳。没年1187年10月。没年齢不詳。65歳頃死亡?
JTBキャンブックス「古寺巡礼・中尊寺」によれば、1122年ほどの
出生のようですから、1118年生の西行よりは少し年少です。
藤原北家魚名流の藤原秀郷を祖とし、その九代の後裔です。西行の
佐藤家も秀郷を遠祖としていると言われます。それゆえに少なからず
同族意識が互いにあったものと思います。

○さやの中山

東海道の難所の一つです。現在の静岡県掛川市にある坂路で、
東海道の日坂宿と金谷宿を結んでいます。
現在の道は舗装整備されていて歩きやすく、西行当時の通行の
困難さが偲びにくいものです。

「小夜の中山は歌枕として有名だが、その詠まれている多くの
例歌からみると、難所で、荒涼として寂しい場所であり、旅の
寂しさや苦痛が身にしみるところであった。
西行の詠歌の発想は、しみじみと40年前の旅を想いださせるのに
十分な孤独感を味わわせる、小夜の中山の風土にあったと思われる。
そして「思ひきや」の表現によって、ふたたびこの地にくることが
できたという喜びが内包されている。しかし、この一首からうける
はげしい感動のみなもとは、「命なりけり」に凝集されたところに
ある。すなわち、西行自身、わが心をみつめて、生きながらえて
いるわが命を実感し、それを喜び感動している心と姿が、読者に
強く訴えてくる迫力になっているのだと思われる。
(中略)
景物としての、伝統的な小夜の中山を詠んだだけのものでなく、
伝統的な歌枕の地で、西行がわが命を直視した結果から生まれる 
喜びの、感動の詠出であったと理会したい。」
         (集英社刊 有吉保氏著「西行」から抜粋)

○年たけて

69歳という自身の年齢を言っています。「たけて」は高くなって
ということ。高齢ということを意味します。

○又こゆべし

再度、小夜の中山の急峻な峠道を越えるということ。このことに
よって、初度の陸奥までの旅の帰途は東海道ではなくて東山道を
たどったという、その可能性を思わせます。
ちなみに小夜の中山の峠道は西行時代からはずいぶんと改変され
ているらしくて、現在では特別な難所という感じはしません。

○命なりけり

(命)という名詞に(なり・けり)をつける用法には少しく疑問
がありますが、こういう用い方が和歌的な用法かもしれません。
 
(命が続いてきたからこそだなー)という詠嘆の言葉です。自身
のこれまでの来し方を振り返っての個人に根ざしたさまざまな
思いが凝縮している言葉です。必然として詠者は高齢である
ことを証明しているともいえます。

(45番歌の解釈)

「年を取ってまたこの山を越えるであろうと思ってもみただろうか。
命があってのことだなあ、佐夜の中山を越えるのは。」
                (和歌文学大系21から抜粋)

○「命なりけり」歌について

「長い人生の時間を一瞬にちぢめてのはげしい詠嘆とともに、
また、ここまで年輪を刻んできた自らの命をしみじみと見つめ
いとおしんでいる沈潜した思いが、一首にはある。調べも、そう
いう内容にふさわしく、反語を用いての三句切れの後、さらに第
四句でもするどく切れるという、小刻みに強い調べによって激情
を伝えた後、名詞止めの結句によって、そういう激情はしっかりと
受け止められているのである。(中略)
「命あればこそ」の感慨は50歳を過ぎた西行の心中でいよいよ深
まりつつあったのだと思われるが、その後さらに十数年を経て、
思い出の地を通ったとき、その思いはいっそう痛烈に沸いたので
あった。「命なりけり」、この平凡ではあるが重い感慨を心に深く
いだきつつ、老いたる西行は、すでにはるかに過ぎてきた自らの
人生の旅路を思ったのである。」
        (彌生書房刊 安田章生氏著「西行」から抜粋)

「命なりけり」という言葉は西行が始めて使った言葉ではなくて
先例がいくつもあり、西行以後にも使われています。
「命なりけり」のフレーズのある歌は合計31首あるそうです。その
うち30首は結句に用いられ、それ以外の一首が西行の「年たけて」
歌とのことです。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

      あづまへまかりけるに、しのぶの奧に
      はべりける社の紅葉を

46 ときはなる松の緑も神さびて紅葉ぞ秋はあけの玉垣
          (岩波文庫山家集130P羈旅歌・新潮482番)

○しのぶの奥にはべりける社

社は福島県福島市信夫山に鎮座する羽黒神社とみられています。
この神社まで参詣したことがあります。境内には巨大な草履が
飾られています。

○ときはなる

松の木は常緑樹であることを言います。

(ときは=常盤)の原意は(永遠に、しっかりと同一の性状を保って
いる磐)のことです。それから転じて永久に不変のものを指します。

○神さびて

長い歴史があって、大変厳かであること。敬虔さを感じさせる
ような雰囲気のこと。
「神さび」は他に歌に2例、詞書に1例あります。

○あけの玉垣

神社の神域を表すために設置された朱色の垣根のことです。
(玉)は美称です。
常磐木は紅葉しませんから(紅葉ぞ秋は)は蔦紅葉と解釈するしか
ないように思います。神域にある落葉樹の紅葉かもしれません。

(46番歌の解釈)

「いつも常盤の色を見せる松の緑に、秋は紅葉した蔓草がから
まって、あたかも朱の玉垣を思わせ、一層神々しく見えることだ。」
             (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

     みちのくにへ修行してまかりけるに、白川の関にとまりて、
     所がらにや常よりも月おもしろくあはれにて、能因が、
     秋風ぞ吹くと申しけむ折、いつなりけむと思ひ出でられて、
     名残おほくおぼえければ、関屋の柱に書き付けける

47 白川の関屋を月のもる影は人のこころをとむるなりけり
    (岩波文庫山家集129P羈旅歌・新潮1126番・西行上人集・
         山家心中集・新拾遺集・後葉集・西行物語) 

○みちのくに

「道の奥の国」という意味で陸奥の国のことです。陸奥(むつ)は
当初は(道奥=みちのく)と読まれていました。
927年完成の延喜式では陸奥路が岩手県紫波郡矢巾町まで、出羽路
が秋田県秋田市まで伸びていますが、初期東山道の終点は白河の関
でした。白河の関までが道(東山道の)で、「道奥」は白河の関
よりも奥という意味です。

大化の改新の翌年(646年)に陸奥の国ができました。
陸奥は現在の福島県から北を指しますが、その後、出羽の国と分割。
一時は「岩城の国」「岩背の国」にも分割されていましたが、
西行の時代は福島県以北は陸奥の国と出羽の国でした。
陸奥の国は現在で言う福島県、宮城県、岩手県、青森県を指して
います。
出羽の国は山形県と秋田県を指します。

○白川の関

白河の関はいつごろに置かれて関として軍事的に機能していたのか、
明確な記録がなくて不明のままです。
陸奥の白河の関、勿来の関、そして出羽の国の念珠が関を含めて
古代奥羽三関といいます。

「白河の関は中央政府の蝦夷に対する前進基地として勿来関(菊多関)
とともに4〜5世紀頃に設置されたものである。」
                (福島県の歴史散歩から抜粋)

続き>

前号|次号|最新
バックナンバー一覧

s登録する
解除する

利用規約
ヘルプ
メルマガ検索
マイページトップ
まぐまぐ!トップ