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西行辞典

件名: 西行辞典 第344号(170224)
2017/02/24
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      ◆◆◆◆  西行辞典  ◆◆◆◆
                        
                  vol・344(不定期発行)
                   2017年02月24日号

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         今号のことば    

       まかり・まかる 10

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       ◆ まかり・まかる 10 ◆

【まかり】

動詞「まかる」の連用形です。出る、行くという言葉の謙譲語・
丁寧語として使われます。

西行歌にはたくさんの「まかり」が使われています。ほぼ同じ行為を
表す「行く」「参る」「詣でる」「まかる」を使い分けているのは、
それなりの必然があったからでしょう。
西行本人の歌に対しての感覚や言語センスに基づきながら、人物や
事象との距離感がいくつかの言葉を使い分けた原因ではないかと
思います。
また、歌の韻律になじみにくいと思われる「まかる」の用法は、ほぼ
詞書に用いられています。それも西行の見識の一つでもあったのでは
ないでしょうか。

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      年頃申しなれたりける人に、遠く修行するよし申して
      まかりたりける、名残おほくて立ちけるに、紅葉の
      したりけるを見せまほしくて侍りつるかひなく、いかに、
      と申しければ、木のもとに立ちよりてよみける

55 心をば深きもみぢの色にそめて別れて行くやちるになるらむ
          (岩波文庫山家集105P離別歌・新潮1086番) 

○年頃申しなれたりける人

長い間懇意にしていた人のこと。個人名も性別も不明です。しかし
西行の身内の女性ではないかとも思わる詞書の内容です。

○遠く修行するよし申して

西行自身が遠い所に旅立つので、その報告のために出向いて行った
ということ。行先や年代は不明です。

○紅葉のしたりける

この詞書の解釈は難解です。説明が決定的に足りないと思います。
時制や彼我の位置がよくわからないままです。
あえて推測するなら、「紅葉のしたりける〜いかに」までは申しなれ
たる人の発語なのでしょう。「したり」は紅葉の樹なので変な気も
します。普通に解釈すれば「枝垂り」です。

○見せまほしくて

見て欲しいと思う気持ちのこと。

「まほしは平安時代に現れた語で希求の助動詞。動詞の未然形を承け、
形容詞シク活用と同じ活用をする。
奈良時代にあった「まくほし」の転じたもの。平安時代に「まく
ほし」は音便によって「まうほし」となり、さらに音がつまって
「まほし」となった。
                 (岩波古語辞典を参考)

上の歌のように「まほし」のある西行歌は6首、詞書は5回、合計
11回あります。

○ちるになるらむ

紅に染まった紅葉が散るということに、離れて行くこと、さらには
自分の人生が終わりになるかも知れないという、その可能性を匂わ
せている言葉です。

(55番詞書の解釈)

「多年、親しくつきあって来た人に、遠く修行の旅に出ることを
申してかえって来た。そのとき、名残り多く別れを惜しんで立って
いたが、(発をかけているか)その人の言うには紅葉をした美しい
木を(一本によれば紅葉をした枝が垂れているのを)見せたくて
待っていたかいもなく、葉が散ってしまった(散らぬうちに来てくれ
なかった)が、あなたは、どうして今日まで来なかったと言ったので、
紅葉の散った木の下に立ちよってよんだうた。」
       (渡部保氏著「西行山家集全注解」から抜粋)

(55番歌の解釈)

「あなたが私のことを思って下さる深いお心を、濃い紅葉の色の
ようにわが心に染めて、別れて行くのは、紅葉でいえば散る
ことになるでしょうか。」
            (新潮日本古典集成山家集から抜粋)
 
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      熊野へまかりけるに、宿とりける所のあるし、夜も
      すから火をたきてあたりけり。あたりさえてさむきに
      柴をたかせよかしとおもひけれとも、人には露も
      たかせすして、あかしけり。下向しけるに、猶その
      くろめに宿とらむと申しけるに、あるしはやうなく
      なり侍りにき。ないり給ひそと申しけれは柴たき
      侍りし事おもひいてられて、いとあはれにて

56 宿のぬしや野へのけふりに成にける柴たく事をこのみこのみて
       (松屋本山家集)

○熊野

和歌山県にある地名。熊野三山があり修験者の聖地ですが、特に
平安時代後期には皇室をはじめ庶民も盛んに熊野詣でをしました。
京都からは普通には往復で20日間以上かかりました。

○あたりさへて

今いる所がとても寒いということ。寒さが「冴える」こと。
厳しい寒さを言います。

○下向しけるに

熊野本宮大社からの帰途ということ。

○くろめに宿とらむ

不明です。菰にくるまっているような感覚をいうか?と和歌文学
体系21にはあります。
48ページ夏歌にある「こもくろめ」は宿の別称のようにも思えます
が、この「くろめ」は地名のようにも感じられます。

○やうなくなり侍り

死亡したということ。

○ないり給ひ

和歌文学大系21では、「おはいりなさいますな」としています。
死亡時におけるお悔やみのことば、挨拶語のようにも思います

○いとあはれ

とても哀れに感じて……。

○野へのけふり

荼毘にふす時の煙のこと。火葬の煙のこと。

(56番歌の解釈)

「この宿のあるじはなくなって野辺に送られ、なきがらは
荼毘に付されて煙となってしまったのか。柴を炊くことを
ひどく好んだ末に。」
                (和歌文学大系21から抜粋)

この歌は松屋本山家集にのみある歌です。

「あるし→あるじ・夜もすから→夜もすがら・おもひけれとも→
おもひけれども・たかせすして→たかせずして・申しけれは→
申しければ・いてられて→いでられて」

現在は以上のように濁点が必要です。平安時代は句読点も濁点も
使用していない時代でした。

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    閻魔の庁をいでて、罪人を具して獄卒まかるいぬゐの方に
    ほむら見ゆ。罪人いかなるほむらぞと獄卒にとふ。汝が
    おつべき地獄のほむらなりと獄卒の申すを聞きて、罪人
    をののき悲しむと、ちういん僧都と申しし人説法にし侍り
    けるを思ひ出でて

57 問ふとかや何ゆゑもゆるほむらぞと君をたき木のつみの火ぞかし
            (岩波文庫山家集253P聞書集217番)

○閻魔の庁

三途の川を渡った死者が初めに行く冥界の庁舎。閻魔王宮のこと。
王宮では閻魔大王が死者の存命中の行為を取り調べて地獄に行くか、
それとも天国に行くかという採決を下します。
古代において、仏教がこういう思想を持つのも仕方のない面が
あったものだろうと思います。 

○罪人を具して

罪人を伴って……。

○獄卒まかるいぬゐの方に

地獄の獄卒の鬼が行く乾の方角ということ。
「まかる」は「罷り」のことで、行ったり来たりすること。
出入りすること。「乾」は「戌亥」で、北西の方角。

○ちういん僧都

生没年未詳。1160年少し前の没と見られています。説法の達人の
ようです。
仲胤(ちゅういん)僧都の説話が「宇治拾遺物語」などに伝わって
いるとのことです。

(57番歌の解釈)

「地獄に連れて行かれる罪人はたずねるとか、(あれは何のため
に燃える火だ)と。獄卒が答えて言うには(あなたを薪にして
焚く、あなたが積み重ねた罪の火だよ)」
               (和歌文学大系21から抜粋)

「地獄へ行く罪人は、行く途中は、縄になっているくさりに
つながれて、考えてみれば悲しいことだ。手かせ足かせを
はめられている。」
         (渡部保氏著「山家集全注解」から抜粋)

◎この歌は聞書集にある「地獄絵を見て」という27首連作のうちの
1首です。

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      世をのがれて伊勢の方へまかりけるに、
      鈴鹿山にて

58 鈴鹿山うき世をよそにふりすてていかになり行く我身なるらむ
          (岩波文庫山家集124P羈旅歌・新潮728番・
             西行上人集・新古今集・西行物語) 

○世をのがれて

出家したということ。西行出家は1140年、23歳の時でした。

○伊勢

伊勢の国のこと。孝徳天皇の大化の時代から明治時代までの国名。
現在の三重県。
明治に入って、それまでの伊賀の国・伊勢の国・志摩の国は渡会県
と安濃津県とに変わり、安濃津県は明治五年に三重県と改称。
三重県は明治九年に渡会県を吸収合併して現在の三重県となります。

現在の三重県伊勢市に伊勢神宮があります。伊勢神宮とは内宮の
皇大神宮と外宮の豊受太神宮を合わせた呼称です。

○鈴鹿山

滋賀県と三重県の県境となっている鈴鹿山脈にある峠。山脈の最高
峰は御池岳(1241メートル)ですが、鈴鹿峠の標高は357メートル。
高くはないのですが、平安時代の街道のルートの一部は前を歩く
人の足を後ろの人は目の高さに見ると伝えられているほどに急峻
でもあり、また桟(かけはし)もあって、東海道の難所の一つでした。

この鈴鹿峠は古代から東海道の要衝でした。ただし鎌倉時代から
戦国時代は東山道の美濃路
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