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西行辞典

件名: 西行辞典 第348号(170505)
2017/05/05
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      ◆◆◆◆  西行辞典  ◆◆◆◆
                        
                  vol・348(不定期発行)
                   2017年05月05日号

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         今号のことば    

         01 真袖
         02 松がね
         03 松虫

     松島→226号「遠く修行」参照
     松の尾の山→第214号「玉がき・玉垣」参照
     松山→第187・188号「新院・讃岐の院・崇徳天皇」参照
     末の松山→第190号「末の松山」参照

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       ◆ 眞袖・まそで ◆

【眞袖・まそで】

「そで・袖」歌が108首あります。別に袖の文字を使った「袖貝」歌が
1首。項目化してすべての歌に触れる必用もないと判断して「袖」の
項目を設けないままでした。
108首は膨大な歌数であり全てを記述するとなると大変な紙幅を費や
します。特に採り上げたい歌もないと思った果てでの無項目化です。
ここでは「眞袖・まそで」歌のみを取り上げます。
「眞袖・まそで」は両方の袖という意味。「眞・ま」は接頭語。

袖は涙を暗示させる名詞です。涙は袖の縁語の一つです。縁語は直接に
関係する言葉ではなく、意味や発音の関係する言葉を意図的に用いて
歌を面白く、かつ、ふくらみのあるものとするための修辞法です。

袖の縁語は他に「濡れる」「そぼつ」「露」「泣く」なぞがあります。
岩波文庫所収恋歌263首の内「袖」は36首、「袖+涙」は13首。
袖歌108首の内、恋歌で36首ということは、特に恋歌に集中していると
いうわけではありません。そのことがちょっと意外でもあり不思議です。

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01 白妙の衣かさぬる月影のさゆる眞袖にかかるしら露
          (岩波文庫山家集149P恋歌・新潮630番)

○白妙=しろたえ

原意は植物の繊維で織った白い布のことです。衣、波、雪、雲などに
かかる枕詞です。

 田子の浦にうち出でてみればしろたへの富士の高嶺に雪は降りつつ
          (山部赤人 新古今集675番・百人一首4番)

○白妙の衣

白い衣のこと。この歌では月光に照らされて白く見える状態を言います。

○衣かさぬる

男女の共寝のこと。同衾のこと。
男女が同衾することは「袖交わす」「袖交ふ」などとも詠み、それは
西行以前も西行以後も詠まれました。

○さゆる真袖

衣の両袖が冴え冴えとしていること。真袖は両袖のこと。差し入る
月光が神秘的なほどに神々しいこと。

(01番歌の解釈)

「月が澄み切った光をおとし、まるで白妙の衣を重ねて共寝して
いるようだが、その両袖に白露のようなもの思う涙がかかり、
月の光が宿っている。」
            (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

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02 神路山岩ねのつつじ咲きにけりこらがまそでの色にふりつつ
             (岩波文庫山家集280P補遺・夫木抄) 

○神路山

伊勢神宮内宮の神苑から見える山を総称して神路山といいます。
内宮の南方にある連山とも言われます。
標高は150メートルから400メートル程度。

○こらがまそで

(こらがまそで)は(小良)の(真袖)のことです。

こら=物忌の子を(小良=こら)という。
物忌には大物忌、物忌父、小良があり、宮守、地祭りなどの
御用を勤めるもので、童男女を用いた。
            (和田秀松著「官職要解」を参考)

○色にふりつつ

ツツジの色が衣服の袖に染まっているように見えるということ。

(02番歌の解釈)

「神路の岩つつじの花が咲いた。大神宮に奉仕する少女らの着て
いるあこめの衣の袖の赤い色に染まって。」
          (渡部保氏著「山家集全注解」から抜粋)

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       ◆ 松がね・松が根 ◆

【松がね・松が根】

松の木の根のこと。
01番歌の場合は「松がね」という言葉は、岩田という名詞を導き
出すための枕詞的用法として用いられています。
西行歌には「松がね」歌は4首あります。

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      夏、熊野へまゐりけるに、岩田と申す所にすずみて、
      下向しける人につけて、京へ同行に侍りける上人の
      もとへ遣しける

01 松がねの岩田の岸の夕すずみ君があれなとおもほゆるかな
         (岩波文庫山家集119P羇旅歌・新潮1077番・
         西行上人集・山家心中集・玉葉集・夫木抄)

○熊野

和歌山県にある地名。熊野三山があり修験者の聖地ですが、特に
平安時代後期には皇室をはじめ庶民も盛んに熊野詣でをしました。
京都からは往復で20日間以上かかりました。

○岩田

紀伊の国にある地名。和歌山県西牟婁郡上富田町岩田。
白浜町で紀伊水道に注ぐ富田川の中流に位置します。中辺路経由
で熊野本宮に詣でる時の途中にあり、水垢離場があったそうです。
岩田では富田川を指して(岩田川)とも呼ぶようです。

○下向

熊野詣でを済ませて帰途についている人を指しています。

○同行に侍りける上人

しばしば一緒に旅をしている西住上人のことです。
新潮版での詞書は「同行に侍りける上人」ではなくて「西住上人
の許へ」となっています。

○おもほゆるかな

思われること。思える、ということ。
          
(01番歌の解釈)

「松の根が岩を抱える岩田川の川岸で水垢離を取った。身も清め
られたが、暑気を払う夕涼みとしても心地よかった。君も一緒
だったら、と思ってしまいましたよ。」
                (和歌文学大系21から抜粋)

「熊野詣での途中、岩田の岸で夕涼みをして、あなたと一緒で
あったらなあと、しきりに思われることですよ。」
            (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

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      海邊重旅宿といへることを

02 波ちかき磯の松がね枕にてうらがなしきは今宵のみかは
         (岩波文庫山家集140P羇旅歌・新潮1053番)

○波ちかき

この歌は「檜原の峯」と『天王寺」の歌の間にポツンと置かれて
いて、詞書にある「海邊重旅宿」ということとは前後の脈絡があり
ません。岩波文庫改訂者の佐佐木信綱博士が他本から補入した歌
でもなく、元から山家集に収録されていた歌です。
従って、海辺の旅とはどのあたりの旅を指すのか推定するのも意味が
ないことと思います。私は、西行はこういう旅を何度かしていると
いう程度の認識です。

○松がねを枕

野宿をしながら道中の多くを過ごしたものと思わせます。きちんと
予定を立てての旅でないことは、当時の時代背景を考えれば至極
当然のことです。

○うらかなしい

通常の「なんとなく悲しさがこみ上げてくる」という「うらがなしい」
という感覚の中に、海辺の村である「浦」を重ねています。

(02番歌の解釈)

「波がすぐ近く寄せる磯に生える松の根を枕にして、夜ごと浦々に
旅寝を重ねるが、波の音、松風の音にうら悲しいのは今宵だけで
あろうか。」
            (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

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      俊恵天王寺にこもりて、人々具して住吉にまゐり
      歌よみけるに具して

03 住よしの松が根あらふ浪のおとを梢にかくる沖つしら波
         (岩波文庫山家集223P神祇歌・新潮1054番・
       西行上人集・山家心中集・続拾遺集・西行物語)

○俊恵

1113年出生、没年は不詳ですが1191年頃とみられています。
西行より5年早く生まれ、1年は遅く没しています。
父は源俊頼、母は橘敦隆の娘です。早くに出家して東大寺の僧と
なったのですが、脇目もふらずに仏道修行一筋に専念してきた僧侶
ではありません。僧の衣をまとっていたというだけで僧侶らしい
活動はほとんどしなかったようです。自由な世捨て人という感じ
ですが、多くの歌人との幅広い交流がありました。

白川の自邸を「歌林苑」と名付け、そこには藤原清輔・源頼政・
殷富門院大輔など多くの歌人が集って歌会・歌合を開催しました。
歌林苑サロンとして歌壇に大きな影響を与えたともいえます。
「詞花和歌集」以降の勅撰集歌人。
家集に「林葉和歌集」があります。

小倉百人一首第85番に採られています。

 よもすがらもの思ふころは明けやらぬ 閨のひまさへつれなかりけり
       (俊恵法師「千載和歌集」765番・百人一首85番)

○天王寺にこもりて

摂津の国の四天王寺にこもっていたということです。
四天王寺の本尊は救世観世音菩薩ですから観音信仰による堂籠り
をしたということです。
四天王寺は日本最初の官製のお寺です。

○人々具して

複数の人たちと一緒にということですが、他に誰々が同行したのか、
人物名は不詳です。
俊恵の歌林苑関係者ではなかろうかと思わせます。

○住吉

摂津の国の住吉大社そのもの、または住吉の地をいいます。
航海安全などを祈願する海の神様であり、同時に歌の神様としても
崇敬されていました。

○梢にかくる

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