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西行辞典

件名: 西行辞典 第354号(170924)
2017/09/24
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      ◆◆◆◆  西行辞典  ◆◆◆◆
                        
                  vol・354(不定期発行)
                   2017年09月24日号

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         今号のことば    

1 みがき…(02)
        2 御神楽
        3 御影(01)

神楽→第89号「神楽・かぐら」参照

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       ◆ みがき… 02◆

【みがき…02】

「みがき」の言葉のある歌は4首を数えます。「みがき」は磨きであり、
項目化するほどのこともないのですが、「みがきいでて・みがきかえて」
が気になって、ここで記述することにします。

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      美福門院の御骨、高野の菩提心院へわたされけるを
      見たてまつりて

02 今日や君おほふ五つの雲はれて心の月をみがき出づらむ
    (岩波文庫山家集201P哀傷歌・新潮欠番・西行上人集)

○美福門院

1117年から1160年在世。11月23日没。44歳。藤原長実の娘、
得子のこと。
鳥羽天皇の女御。八条院ワ子内親王や近衛天皇の母。二条天皇の
准母。1141年12月皇后、1149年8月院号宣下。
美福門院の遺言により、1160年12月4日(2日とも)に遺骨は高野
山の菩提心院(蓮台院とも。窪田章一郎氏「西行の研究」)に
納められました。この遺骨の移送に、藤原成道や藤原隆信も供奉
したとのことです。西行は高野山で、美福門院の遺骨を迎えたこと
になります。この日、高野山は大雪に見舞われていたそうです。
鳥羽の安楽寿院の近衛天皇陵は、もともとは美福門院陵として
造営がなされました。1155年に崩御した近衛天皇は船岡山の東に
あった知足院に葬られていましたが、1163年に現在地に改葬され
ました。

○菩提心院

高野山にあった寺院ですが現在はありません。

○見たてまつりて

この言葉によって美福門院の遺骨が高野山に葬られ、西行もその場に
いたことが分かります。
1160年11月のこの時、藤原成通と藤原隆信は美福門院の遺骨を高野山
に持って行って納めています。

○君

死亡している美福門院への呼びかけ。

○五つの雲

(五つの障)(五つの某)と同義。五障のこと。

「五障」

1 女性が持たされている五つの障礙(しょうげ)のこと。
 帝釈天、梵天王、魔王、転輪聖王、仏身となりえぬこと。

2 修道上の五つの障りのこと。
 煩悩、業、生、法、所知の五つの障礙。

3 五善根の障礙となるもの。
 欺、恨、怨、怠、瞋(いからす・いかる)の五つの障礙。
                 (広辞苑第二版を参考)

今の時代であれば明らかな女性蔑視と言われそうです。仏教の包摂
する頑迷固陋さを思わせますが、当時はこういうことが疑いも無い
真実として受け入れられていたものでしょう。

○心の月
 
仏教の信仰上のことで、比喩的に心の中にあるとする架空の月を
言います。仏教でいう悟りの境地を指すための比喩表現です。

○みがき出づらむ

自分の中にある月を磨き出して真如の境地に到達するということ。
真如とは煩悩に束縛されることのない、迷いのない真理の世界を
言います。それは同時に涅槃や解脱を意味することだと思います。
死者に対しての敬意をこめた言葉なのでしょう。

(02番歌の解釈)

「女人の五障の雲が晴れて、菩提を得られるだろうというのが
歌意であるが、型にはまったもので、儀礼の域を出ない。」
          (窪田章一郎氏著「西行の研究」から抜粋)

「今日女院は五障の雲も晴れて、お心のうちに宿していられた月
(仏性)を輝き出させるのであろうか。」
                 (和歌文学大系21から抜粋)

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     恋によりて後の世を思ふといふことを人々よみけるに

03 物おもふ涙を玉にみかきかへてころものそてにかけてつつまむ
                    (松屋本山家集)

○涙を玉に

身体の現象としての涙を、仏道上の得難いものに転化してほしいと
いう願いの言葉。一途に人を思っての純粋な涙を流すことを機縁と
して、仏道に向かって欲しいという思いが込められています。

○みかきかへて

大事なものを慈しみつつ、想い続けて真理に目覚めてほしいと
いうこと。

○そてにつつまむ

大切なものをなくさないよに保持し続けるという解釈でよいと
思います。

(03番歌の解釈)

「恋の物思いをして流す涙を玉に換えてこれを磨いて、衣の袖に
掛けて包もう。恋の歎きを機縁として本来備わっている道心に
目覚め、仏の教えに帰依しょう。」
               (和歌文学大系21から抜粋)

松屋本山家集は、西行時代当時の句読点や濁点のない表記をして
います。そのことによって当時の表現方法に忠実だともいえます。
「みかき」は「みがき」、「そて」は「そで」のことです。

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04 光をばくもらぬ月ぞみがきける稲葉にかかるあさひこの玉
    (岩波文庫山家集82P秋歌・新潮969番・西行上人集・
                   山家心中集・夫木抄)

○光をばくもらぬ月ぞ

転調には富んでいますが主体が分かりにくく、それが味わいにくい
歌にしているように思います。新古今調というよりも推敲が不足して
いるような気もします。

○あさひこの玉

新潮版では「朝日子の玉」という文字をあてています。そして
「子」は親愛の情を示す接尾語とのことです。
朝日子とは朝日のことであり、玉とは露を意味します。
稲の葉に宿り、朝日を浴びてきらきらと輝いている露を「あさひこ
の玉」という、しゃれた呼び方をしています。 

(04番歌の解釈)

「清澄な月が一晩中照らし続けて光を磨きあげたのである。稲葉
の上に朝日を浴びて煌く露が白玉のように美しい。」
                (和歌文学大系21から抜粋)

「朝日子の玉」は古くには二首のほど用例があるようですが、歌人
たちが普通に用いていた言葉ではないようです。
(稲葉)は因幡の国を掛けた掛詞という説もあります。

◎朝日子や今朝はうららにさしつらん田面の鶴の空に群れ鳴く
                (藤原顕仲 堀川百首)

◎わたの原豊さかのぼる朝日子のみかげかしこき六月の空
                     (賀茂真淵)

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       ◆ 御神楽 ◆

【御神楽】

この歌の場合は「おかぐら」ではなくて「みかぐら」と読む方が
良いでしょう。一般に行われる里神楽ではなくて宮中で行われる
神楽を言います。
神楽とは神を祀るために神社などで神前に奏される舞楽のことです。
現在でもたくさんの地域で神楽が行われています。九州の高千穂
神楽などが有名です。神楽歌は神楽舞のときに奏でる音曲です。

神楽歌は平安時代に発達したとのことです。現在でも90程度の神楽歌
が残されています。

「御神楽」という言葉は加茂祭の時に一度のみ詞書に使われています。
他に詞書や歌に「神楽」の言葉がある歌を以下に記述します。以下は
歌や詞書に「御」がないため、ここでは割愛します。
興味のある方は「西行辞典89号」を、ご参照願います。

01 かぐら歌に草とりかふはいたけれど猶其駒になることはうし
         (岩波文庫山家集220P釈教歌・新潮899番)

     神樂に星を

02 ふけて出づるみ山も嶺のあか星は月待ち得たる心地こそすれ
           (岩波文庫山家集224P神祇歌・新潮欠番)

     神樂二首

03 めづらしなあさくら山の雲井よりしたひ出でたるあか星の影
         (岩波文庫山家集224P神祇歌・新潮1523番)

04 名残りいかにかへすがへすも惜しからむ其駒にたつ神楽どねりは
         (岩波文庫山家集225P神祇歌・新潮1524番)

      夏神樂

05 しのにをるあたりもすずし河やしろ榊にかかる波のしらゆふ

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     加茂の臨時の祭かへり立の御神楽、土御門内裏にて
     侍りけるに、竹のつぼに雪のふりたりけるを見て

01 うらがへすをみの衣と見ゆるかな竹のうら葉にふれる白雪
     (岩波文庫山家集99P冬歌・新潮536番・西行上人集・
           西行上人集追而加書・言葉集・夫木抄)

○加茂の臨時の祭

陰暦11月の下の酉の日に行われる賀茂社の祭りです。
889年より始められて、899年には「賀茂社臨時祭永例たるべし」
と定められています。
応仁の乱により中絶、江戸時代に復興。明治3年廃絶しています。   

○かへり立

帰路につくこと。他には以下の意味があります。

「加茂社または男山の岩清水社や奈良の春日社などの臨時の祭りが
終了したあと、祭りの舞人や楽人などの祭りの関係者が宮中に
戻って、清涼殿の東庭に並んで神楽を演じ、宴を賜り、禄をいた
だくこと。還り遊び、還饗(かえりあるじ)ともいう。」
              (講談社「国語大辞典」から抜粋)

○土御門内裏

鳥羽・崇徳・近衛三天皇の
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