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西行辞典

件名: 西行辞典 第363号(180128)
2018/01/28
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      ◆◆◆◆  西行辞典  ◆◆◆◆
                        
                  vol・363(不定期発行)
                   2018年01月28日号

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         今号のことば    

         1 御名 02
         2 みなそこ・水底
         3 みなと川
         4 南おもて
         5 美濃
         6 御法 01

みの→第311号「ふり・ふる (1)」参照
みの津→第337号「まかり・まかる 03」参照
身延の郷→第169号「しば・柴 (2)」参照

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          ◆ 御名 02 ◆

【御名】

「みな」「ぎょめい」などと読みますが、ここでは「みな」。
対象が天皇や神などの、おそれ敬う必要がある時には、直接の名前を
呼ばないで、(御名)と呼ぶこともあります。
西行歌では地蔵菩薩と仏に対しての二首があります。

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     暁念佛といふことを

02 夢さむるかねのひびきにうち添へて十度の御名をとなへつるかな
         (岩波文庫山家集217P釈教歌・新潮871番・
                 西行上人集・山家心中集) 

○暁念仏

払暁の念仏修行を言います。

○うちそへて
 
添えること。本体の側に一緒にいさせること。別々にしないこと。
鐘の音ともに、仏の名を唱えること。鐘の縁語の(打ち)に、仏の
名に(あはれみ)を込めて、添えていること。

○十度の御名

「南無阿弥陀仏」と十度唱えること。早暁の修行の一つです。

(02番歌の解釈)

「眠りから覚めると共にこの世の迷いの夢も覚める暁の鐘の響きに
添えて、十度御名念仏したことであるよ。」
           (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

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         ◆ みなそこ・水底 ◆

【みなそこ・水底】

川や池などの水の底のこと。

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01 みな底にしかれにけりなさみだれて水の眞菰をかりにきたれば
           (岩波文庫山家集50P夏歌・新潮221番) 

○さみだれて

ここでは五月雨に「然乱れて」ということを掛けています。
真菰が水底で乱雑に折り敷いている状態をも言います。

○かりにきたれば

刈り取りに来ること。
本格的な夏の前の、現在の6月中頃には刈り取る習慣だったようです。

(01番歌の解釈)

「五月雨が降り続くこの頃、御津の真菰を刈りに来ると、すっかり
水かさが増し、真菰は水底に入り乱れて敷いたようになっているよ。」
             (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

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02 水底にふかきみどりの色見えて風に浪よる河やなぎかな
           (岩波文庫山家集23P春歌・新潮55番)

○ふかきみどり

(ふかき)は水の底が深いということです。同時に柳の葉の色味を
掛けています。春歌なので、柳の葉もまだ色を深めてはいないの
ですが、空気中の色と水の中での色には違があります。
なお、平安時代には緑色も青色もほぼ同じものと解釈されていた
ようです。
とはいえ、山家集には「青柳」「青葉」「青みどり」のことばが
使われています。

○河やなぎ

川べりに生えている柳のこと。
「猫柳」という植物は「河原柳」とも言いますが、この「河やなぎ」
は普通の柳です。

(02番歌の解釈)

「水底に映ると川柳の緑色が深く見える。風が吹くと川波が押し
寄せるように、一斉によじれて美しい。」
                (和歌文学大系21から抜粋)

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          ◆ みなと川 ◆

【みなと川】

固有名詞というよりも普通名詞の感じを受けます。港に近い
河口付近の川という意味で用いられている言葉なのでしょう。

固有名詞としては摂津の国の歌枕です。現在の兵庫県神戸市を流れて
いる小流です。
ただし西行の時代と比べたら、洪水などで流路も変わっていますし、
また治水のために大幅な改変がなされています。
現在の川名は「新湊川」です。
楠正成と足利尊氏の「湊川の戦い」で有名です。楠正成はこの戦いで
敗死しました。1336年、後醍醐天皇の治世下の出来事でした。
1872年(明治5年)に楠正成を祀る「湊川神社」が創建されました。

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01 みなと川苫に雪ふく友舟はむやひつつこそ夜をあかしけれ
          (岩波文庫山家集100P冬歌・新潮1486番)

○苫

菅や茅などを荒く束ねて、雨露を防ぐ目的で小屋の屋根の覆い
などに利用するための莚のようなもの。
(苫ふきたる庵)(苫やかた)(苫のや)は苫葺きの粗末な住処のこと。
とてもよく似たものに真菰を荒く編んで作った「菰」があります。  

○友舟

一緒に行動する舟のこと。

○むやひつつ

(もやう)こと。(もやう)とは舟を岸壁や他の舟につなぎとめること。
互いにつなぎとめている舟を(もやい舟)、もやうための綱を(もやい綱)
と言います。
(むやひつつ)で、もやったままの状態で…ということ。

(01番歌の解釈)

「湊川では、舟の苫屋根に雪が積もって、あたかも雪で屋根を葺いた
ように見えるが、友舟どうし舟をつなぎ合わせ、身を寄せ合って
寒さをしのぐようにして雪の夜を明かしたことだ。」
            (新潮日本古典集成山家集より抜粋) 

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02 河になかす涙たたはむみなと川あしわけなして舟をとほさむ
                (松屋本山家集)

○涙たたはむ

涙を湛えていること。恋歌ですから、恋の涙です。

○あしわけなして

繁茂してといる蘆を分けて・・・。
蘆は恋の成就のために目前にある障害の比喩です。

(02番歌の解釈)

「川に流したおびただしい恋の涙を湛えるであろう湊川、その
増した水嵩で生い茂っている蘆を分けて舟を通そう。困難を
排除して舟を通そう。」
                (和歌文学大系21から抜粋)

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        ◆ 南おもて ◆

【南おもて】

01番歌の「南おもて」は、三条高倉第の寝殿の南側にある庭のこと。
待賢門院は三条高倉第において1145年に崩御しました。
02番歌の「南おもて」の場合はどこなのか不明のままです。藤原
成範邸か紀の二位の菩提寺の「南おもて」と思わせます。

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    待賢門院かくれさせおはしましにける御跡に、人々、
    又の年の御はてまでさぶらはれけるに、南おもての花ちり
    ける頃、堀河の女房のもとへ申し送りける

01 尋ぬとも風のつてにもきかじかし花と散りにし君が行方を
 (西行歌)(岩波文庫山家集201P哀傷歌・新潮779番・西行上人集)

返しとして堀川の局の下の歌があります。

  吹く風の行方しらするものならば花とちるにもおくれざらまし
   (堀河の女房歌)(岩波文庫山家集201P哀傷歌・新潮780番・
                      西行上人集)

○待賢門院

藤原公実の娘の璋子のこと。1101年から1145年まで在世。藤原実能
の妹。白河天皇の猶子。鳥羽天皇中宮。崇徳天皇・後白河天皇・
上西門院などの母です。ほかには三親王、一内親王がありますので、
七人の母ということになります。
幼少から白河天皇の寵愛を受けていた彼女は1117年に入内し翌年、
鳥羽天皇の中宮となります。そして1119年に崇徳天皇を産んでいます。
末っ子の本仁親王(仁和寺の覚性法親王)が1129年の生まれですから、
ほぼ10年で七人の出産ということになります。10年で七人とはちょっと
異常のようにも感じます。
このうち、崇徳天皇は白河院の子供という風説が当時からあって、
それが1156年の保元の乱の遠因となります。
白河院は1129年に崩御しました。それからは、鳥羽院が院政を始め
ました。1134年頃に藤原得子(美福門院)が入内すると、鳥羽院は得子を
溺愛します。得子は1139年に近衛天皇を産みます。鳥羽院は1141年に
崇徳天皇を退位させ、まだ幼い三歳の近衛天皇を皇位につけました。
この歴史の流れの中で鳥羽院の中宮、崇徳天皇の母であった待賢門院
の権威も失墜してしまって、1142年に法金剛院で落飾、出家しました。
同時に、女房の中納言の局と堀川の局も落飾しています。
1145年8月22日三条高倉第で崩御。法金剛院の三昧堂の下に葬られ、
現在は花園西陵と呼ばれています。

○又の年の御はて

待賢門院崩御は1145年8月22日ですから、「又の年の御はてまで」
とは、1146年8月に忌明けということです。この歌はまだ喪中である
1146年の桜の頃に堀川の局に送ったことになります。

○きかじかし

聞くことはないでしょう…という意味。

(01番歌
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