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西行辞典

件名: 西行辞典 第367号(180323)
2018/03/23
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      ◆◆◆◆  西行辞典  ◆◆◆◆
                        
                  vol・367(不定期発行)
                   2018年03月23日号

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         今号のことば    

         1 宮川 02
         2 宮川歌合 
         3 宮城野

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          ◆ 宮川 02 ◆

【宮川=宮瀧川】

三重県の大台ケ原山に源流を発して東流し、伊勢市で伊勢湾に注いで
いる全長90キロメートルほどの川です。
JR参宮線で言えば、宮川駅と山田上口駅の間を流れています。伊勢
神宮両宮は山田上口駅よりは南西方向になります。
尚、斎宮御所は宮川の東北に位置し、伊勢神宮外宮からでも10キロ
メートルは離れた斎宮駅の近くにあったことが確実です。

この宮川とは別に奈良県の吉野を流れる「宮滝川」のことを、縮めて
宮川と記述している歌もあります。この略称の「宮川」歌は先号に
紹介した01番の一首のみです。
他に「宮瀧川」歌も一首ありますので、「宮瀧川」の項に記述するか
迷いましたが、一緒にここで紹介しておきます。

03番歌からは伊勢市を流れている「宮川」を言います。

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     りうもんにまゐるとて

02 瀬をはやみ宮瀧川を渡り行けば心の底のすむ心地する
         (岩波文庫山家集118P羇旅歌・新潮1426番)

○りうもん

奈良県の吉野郡吉野町と宇陀郡大宇陀町にかけての地名で「竜門」
のことです。津風呂湖の西側に位置します。
「竜門」には標高904メートルの竜門岳、山腹に竜門の滝があります。
竜門岳南麓には竜門寺もありました。

○瀬をはやみ

瀬とは水の流れのことです。特に、水深が浅くて急な流れのことです。
「瀬をはやみ」は、水の流れの速いことを言います。

○宮瀧川

奈良県を流れる吉野川の吉野宮滝付近の流れを指しています。
宮滝には縄文時代からの「宮滝遺跡」があります。
また西暦300年頃に造られたという「宮滝離宮」が有名です。
第15代応神天皇から第45代聖武天皇の間の400年以上も使われた
離宮のようです。

○渡り行けば

宮瀧川の当時の水深が不明です。浅い部分と深い部分が共にある
はずですが、浅い部分を歩いて渡ったのかもしれません。
当時の宮瀧川のどの部分を渡渉したのか、川幅などもよく分からない
ままです。

(02番歌の解釈)

「流れの速い瀬なので心して宮滝川を渡って行くと、心が奥底の
方から澄み透ってくるような気がする。」
                (和歌文学大系21から抜粋)

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03 ながれいでて御跡たれますみづ垣は宮川よりのわたらひのしめ
      (岩波文庫山家集279P補遺・宮河歌合・夫木抄)

○御跡たれます

本地垂迹のこと。仏や菩薩などが衆生を救うために、神という仮の
姿をして、この世に出現するということ。

○みづ垣

垣根のこと。「みづ」は美称で「瑞垣」と表記します。
玉垣の内側に設ける垣のことであり、神殿を囲んでいる木製の垣も
「瑞垣」と呼びならわされているようです。

○注連・しめ

一般的には土地や建物の領有を表し、立ち入り禁止区域であること
を示すために縄などで張り巡らした印のこと。他の場所と隔てる
ための標識です。

特に神社などでは聖域・霊域を示し守るために俗界と区切って、
結界とする意味があります。注連縄の略ともいえます。

○わたらひのしめ

「度会の注連」です。
伊勢神宮のある所は度会郡でしたし、また渡会氏が伊勢神宮外宮の
代々の禰宜でした。
現在の伊勢市や伊勢山田市を含めた、旧の度会郡そのものを神域化
した表現です。

(03番歌の解釈)

「大日如来が、この地に本地垂迹として御跡をあらわされたこの
美しい神社の垣根は宮川からわたらい(外京より内京まで)にかけ
わたしたしめなわなのである。」
       (渡部保氏著「西行山家集全注解」より抜粋)

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       宮川歌合と申して、判の詞しるしつくべきよし申し
      侍りけるを書きて遣すとて 
                 
04 山水の深かれとてもかきやらず君がちぎりを結ぶばかりぞ
          (藤原定家歌)(岩波文庫山家集281P補遺・
                  続拾遺集・拾遺愚草) 

05 結び流す末をこころにたたふれば深く見ゆるを山がはの水
  (西行歌) (岩波文庫山家集281P補遺・風雅集・拾遺愚草)

○宮河歌合

この自歌合は伊勢神宮外宮に奉納され、左は玉津島老人、右は
三輪山老翁として、藤原定家に判を依頼しています。当時、
定家は26歳でした。
藤原俊成に判を依頼し、伊勢神宮内宮に奉納された御裳濯河歌合と
同じく36番合計72首を番えています。

○判の詞

「判」とは、歌合などで左右に番えられた歌に対して、その優劣の
判定を下すことを言います。各歌合では判者は複数の時もあれば
一人の時もあります。西行の「御裳濯河歌合」は藤原俊成、「宮河
歌合」は藤原定家が判者でした。西行が俊成と定家に判を依頼した
ものです。左右に番えられた2首の歌について優れていると思える方を
「勝」、優劣の決め難いものを「持」とします。

「判の詞」とは、判者が優劣を決定する時、その判定の理由などを
述べた言葉のことです。下は宮河歌合18番についてですが、「たち
もらさるる…」以下の言葉が「判の詞」です。 

「宮河歌合 18番 左」

 山里はあはれなりやと人とはばしかのなくねをきけとこたへよ
   (岩波文庫山家集238P聞書集94番・宮河歌合・御裳濯集)

「宮河歌合 18番 右勝」

 をぐら山ふもとをこむる夕霧に立ちもらさるるさをしかの声
 (岩波文庫山家集276P補遺・西行上人集・宮河歌合・新勅撰集)

「たちもらさるるさをしかのこゑ、まだきかぬたもとまで露おく
心ちし侍れば、猶まさると申すべし」

○書きて遣す

書いて届けたことです。
宮河歌合の判を書き終えない内に、河内の国弘川寺にいた西行の
もとに文章を届けた…ということになります。

○かきやらず

(書きやらず)で書いてはいないこと。ある目的のもとで書いては
いないこと。どんなにすばらしいものであっても、その素晴らしさ
には書いて触れてはいないということ。

一句だけみれば以上のようにも解釈できます。
宮河歌合の歌の持つ深奥に触れての深い批評は書けそうにも
ないということ。

○結び流す末

西行が自らの歌に込めている思想みたいなものを言うようです。
一首一首ではなくて、全ての歌にことよせている真理みたいなもの、
悟りみたいなもの、その総体としての「あるべきもの」が「末」
なのでしょう。

(04番歌の解釈) 

「山川の水が深くあってほしいというように知識のますようにと
深い判詞を書いてはおりません。ただあなたへの約束をはたして
いるだけですよ。」
          (渡部保氏著「山家集全注解」から抜粋)

「山水のように深い評をとおっしゃっても書けません。
ただあなたとの契りを結ぶばかりです。」
         (桑子敏雄氏氏著「西行の風景」から抜粋)

(05番歌の解釈) 

「あなたがむすび(すくうこと)流す山川の水を一ところに
あつめると深く見えるように、あなたが約束して流すものを
心のうちにあつめたたえると、とても深く見えますよ。
山川の水は。(契りを結ぶためとて書いて下さる御文は、
それをかみしめてみれば深いものがある。)」
          (渡部保氏著「山家集全注解」から抜粋)

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       宮川歌合の奧に          

06 君はまづうき世の夢のさめずとも思ひあはせむ後の春秋
    (藤原定家歌)(岩波文庫山家集282P補遺・宮河歌合)

07 春秋を君おもひ出ば我はまた月と花とをながめおこさむ
      (西行歌)(岩波文庫山家集282P補遺・宮河歌合)

○宮川歌合の奥に

「宮河歌合」の判が終わって、定家が詠んだ歌とともに、その返歌
としての西行の歌があります。

○春秋

単純に季節の春秋とも取れますが、過ごして来た人生のこと。
ここでは西行死後のことを匂わせているはずです。

(06番歌の解釈) 

「君はまずこの浮世の夢がさめなくても(真の悟りを得なくても)
後の春秋、何年かたったならばいろいろと思い合わせて、わかって
いただくこともありましょうよ。(この解全体に不十分)」
          (渡部保氏著「山家集全注解」から抜粋)

(07番歌の解釈) 

「春秋をあなたが思い出されるならば、私は春の花、秋の月を
ながめて思いおこしましょう。(この解も不十分)」
          (渡部保氏著「山家集全注解」から抜粋)

「君が春秋につけて偲んでくれるのならば、自分もまた月と花とを、
彼の世から眺めよう。」
           (窪田章一郎「西行の研究」から抜粋)

【藤原定家】

藤原定家の名は山家集には出てきません。伊勢神宮外宮に奉納した
「宮川歌合」の加判者でもあり、西行との贈答歌もあるために
岩波文庫山家集に「補遺」として「定家」の名前と歌が撰入して
います。

藤原定家は寂超の妻であった「加賀の局」と藤原俊成を父母として

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