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西行辞典

件名: 西行辞典 第369号(180421)
2018/04/21
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      ◆◆◆◆  西行辞典  ◆◆◆◆
                        
                  vol・369(不定期発行)
                   2018年04月21日号

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         今号のことば    

         1 みやだて
         2 宮柱
         3 宮人
         4 御山・み山 01

宮瀧川→第367号「宮河」参照
宮の法印→第322号「法印」参照
宮ばら→第335号「まからむ」参照

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          ◆ みやだて ◆

【みやだて】

出家前に召使いをしていた女性の名前。吉野に住んでいて、高野山の
西行に「くだもの」の贈り物をしました。

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      みやだてと申しけるはしたものの、年たかくなりて、
      さまかへなどして、ゆかりにつきて吉野に住み侍り
      けり。思ひかけぬやうなれども、供養をのべむ料に
      とて、くだ物を高野の御山へつかはしたりけるに、
      花と申すくだ物侍りけるを見て、申しつかはしける

01 をりびつに花のくだ物つみてけり吉野の人のみやだてにして
  (西行歌)(岩波文庫山家集133P羈旅歌・新潮1071番・夫木抄)
                    
02 心ざし深くはこべるみやだてを悟りひらけむ花にたぐへて
    (みやだて歌)(岩波文庫山家集133P羈旅歌・新潮1072番)

新潮版では下のように異同があります。

01 思ひつつ 花のくだもの つみてけり 吉野の人の みやたてにして

○はしたもの

身分の低い女性のこと。雑用係などをしている女性のこと。
平安時代当時は「はしたもの」は、召使い、雑用係の女性の呼称
だったようです。
男性に対しても言うと思いますが、手持ちの古語辞典二冊では女性と
特定しています。(はしため=端女)と言う言葉もあり、(はしたもの)
と対をなす言葉とも考えがちですが、(はしたもの=はしため)で、
同義のようです。
(端童=はしたわらわ)という呼称もあって、この場合は「召使の少女」
と岩波古語辞典にあります。大修館書店の古語林では「召使の子供」
とあり、性別は特定していません。

○さまかへ

年老いてから出家したということ。

○ゆかりにつきて

みやだて個人の縁故が高野山にあったとみなされます。

○花と申すくだ物

「くだ物=餅菓子」の一種だろうと思います。
あるいは花で有名な吉野からの贈り物だから、「花の吉野から
の果物」という意味合いがあるのかもしれません。
花弁状した餅菓子の名前。吉野の蔵王権現では正月に供えていた
餅を二月に砕いて僧俗多数に配ったとのことです。

鎌倉時代のことですが、東寺領の荘園の領民に課している様々な
年貢のうちの一つに「菓子(果物)八十合(80はこ)」とあります。
ですから果物という菓子については、案外、知られていたものと
思います。

○をりびつ

ヒノキなどの薄板を折り曲げて作った箱のこと。菓子、肴などを
盛る。形は四角や六角など、いろいろある。おりうず、ともいう。
                (和歌文学大系21から抜粋)

○志ざし深くはこべる

(志ざし)とは、自分の死後の安楽を願う(みやだて)の願望の
ことです。深い祈願の気持ちを「くたもの」に託して、はこんだ
(送った)ということ。

(01番歌の解釈)

「自分の桜の花を愛する心を知って花という名の菓子を送って
下さったあなたを思いながら、供養の料としての花の菓子を
仏様の前に積みお供えしましたよ。吉野の人であるみやたてに
ふさわしいお供えものとして。」
            (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

(02番歌の解釈)

「後世安楽を願い、供養を願う深い志で花をお送り致しました
私を、花の開く春になぞらえて、どうか悟りを開かせて下さい。」
            (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

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          ◆ 宮柱・宮ばしら ◆

【宮柱・宮ばしら】

皇居の柱、宮殿の柱、神殿の柱などをいいます。

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01 みもすその岸の岩根によをこめてかためたてたる宮柱かな
         (岩波文庫山家集225P神祇歌・新潮1532番)

○みもすそ・みもすその岸

伊勢神宮内宮を流れる五十鈴川の別称。伝承上の第二代斎王の
倭姫命が五十鈴川で裳裾を濯いだという言い伝えから来ている
川の名です。
正式名称である「五十鈴川」は山家集には261ページの「いかばかり…
こころは」歌の詞書の一回のみしかありません。それに比して
御裳濯川は歌に五首、詞書に三回あります。

「平安和歌歌枕地名索引」では「五十鈴川」が22首、「御裳濯川」が
40首あります。五十鈴川よりも御裳濯川の別称の方がが多く詠み
込まれています。

「みもすその岸」は五十鈴川(御裳濯川)の岸辺のこと。

○岩根

岩の根元のこと。不動の根のように大地にしっかりと納まって
安定している岩。土から盛り上がっている、どっしりとした岩。
「岩根踏み」「岩根松」という形で多くの歌が詠まれています。
「岩根松」は常盤木の松としっかりとした岩との組み合わせに
より、万代を寿ぐ賀歌として詠まれています。
「岩根」の「根」は接尾語とも言われます。

○よをこめて

「将来に渡っての世の平安を願って」ということ。

○かためたて

硬度が強いこと。しっかりと合わさっていること。
状況や形が変化しないものについていう言葉。

(01番歌の解釈)

「御裳濯川の岸の岩根に、君の千代八千代をかけて祈願し、
しっかりと固め立てた宮柱であるよ。」
            (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

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02 宮ばしらしたつ岩ねにしきたてゝつゆもくもらぬ日の御影かな
  (岩波文庫山家集124P羇旅歌・261P聞書集260番・新潮欠番・
         西行上人集追而加書・新古今集・西行物語)

○したつ岩ね

(下つ)のことで(つ)は格助詞です。(の)と同様の働きを
しますが、(の)よりも用法が狭く、多くは場所を示す名詞の
下に付きます。
(したつ岩ね)で、下の方の岩、底の方の岩になります。
下にある岩盤のことです。

○しきたてて

この歌では「敷き立てる」こと。倒れないように堅固に、見た目も
立派に建てること。

○つゆもくもらぬ

少しも曇りの無いこと。伊勢神宮の御威光をいいます。

○日の御影

「天のみかげ」は「日のみかげ」と対をなしていて大祓えの祝詞の
中にもある用語です。

「日」は日の神・天の神の天照大神を指しています。天照大神は
伊勢神宮内宮に祀られています。
歌では「天照大神」の神徳・神威を指して「日の御影」と言って
います。伊勢神宮は天皇家のものでもあり、同時に天皇家をも指して
「日の御影」と言っているはずです。

(02番歌の解釈)

「宮柱を地下の岩にしっかりと立てて、少しも曇らない日の光が
射す、神宮のご威光よ。」
                (和歌文学大系21から抜粋)

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          ◆ 宮人 ◆

【宮人】

宮仕えをする人々のこと。宮中を仕事場としている人々の総称。
神社の神官も宮人と言います。

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     男山二首  放生會

01 みこしをさの聲さきだてて降りますをとかしこまる神の宮人
         (岩波文庫山家集225P神祇歌・新潮1528番)

○男山

京都府八幡市にある標高143メートルの山。山頂には859年勧請の
岩清水八幡宮があります。
この山は神域として保護されてきたため、照葉樹林中心の天然林
となっています。
男山の西北には宇治川、木津川、桂川の三川が合流していて、淀川
と名称を変えて大阪湾に注いでいます。

○みこしをさ
  
神輿長のことです。祭りで神輿の運行を管轄する責任者です。

○かしこまる

目上の人や権威を敬い恐縮すること。おそれ慎むこと。
ここでは八幡宮の神威を恐れ敬い、へりくだった気持になること。

(01番歌の解釈)

「神輿長の警蹕(けいひつ)の声を先立てて神輿が下りられると
「おう」と答えて神官はかしこまることだ。」
            (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

「警蹕」とは、昔、天皇の出入りなどに先払いが声をかけて人々
に注意したこと。その声。現在も、神事のときに神官が行う。
                  (日本語大辞典を参考)

【岩清水八幡宮】

859年、九州の宇佐八幡宮に参詣した奈良の大安寺の僧の行教が
平安京の近辺に八幡宮を移座して国家鎮護の役目をになわせる
ために、朝廷に奏上したのが岩清水八幡宮の起こりといいます。
宇佐八幡宮の神官が都に進出したいための策謀という説もあります。

天皇・貴族の崇敬もきわめて厚く、この八幡宮で三月の午の日に
行われていた臨時祭は朝廷の管掌する「南祭り」として、加茂社の
「北祭り」と対をなすものです。

また弓矢の神としての武門源氏との関係も深
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