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西行辞典

件名: 西行辞典 第371号(180518)
2018/05/18
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      ◆◆◆◆  西行辞典  ◆◆◆◆
                        
                  vol・371(不定期発行)
                   2018年05月18日号

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           今号のことば    

         1 深山・みやま 03

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         ◆ 御山・み山 03 ◆

【御山・み山】

「御=み・お」は美称の接頭語です。言葉の調子を整える意味でも
「み・御」の文字が用いられます。

皇族や特定の人物の陵墓がある場合は、その神聖さのためにも敬って
「御」の文字を前置します。また仏教関係の聖地ともいえる山も
同様に「御」をつける場合が多くあります。

山家集には「み山」と(み)がひらがな表記の場合には、接頭語と
してだけではなく、同時に深山の意を表している歌もあります。

「深山=みやま」と表記されている場合は、奥深い山を言います。
「深山」表記は詞書に4回あるばかりです。

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     なき人の跡に一品経供養しけるに、寿量品を
     人にかはりて

13 雲晴るるわしの御山の月かげを心すみてや君ながむらむ
         (岩波文庫山家集211P哀傷歌・新潮890番)

○なき人

亡くなった人ですが、誰か個人名は不明です。

○一品経

法華経は二十八品ありますが、そのうちの一品ということです。
この歌では法華経第十六品の寿量品の教えを和歌にしています。
これとは別に西行には一品経和歌懐紙があります。
一品経和歌懐紙は1180年から1182年頃にかけての成立。国宝です。
法華経二十八品の一品及び述懐を詠じた2首からなる懐紙で、現存
する和歌懐紙では最も古いものと言われます。
作者は西行のほかに頼輔、有家、寂念、寂蓮、勝命、重保などが
います。
この和歌懐紙は西行自筆の歌稿として現存する唯一のものです。
下の二首が西行歌です。

 わたつみの深き誓ひのたのみあれば彼の岸べにも渡らざらめやは
        (岩波文庫山家集283P補遺・一品経和歌懐紙)

 二つなく三つなき法の雨なれど五つのうるひあまねかりけり
        (岩波文庫山家集283P補遺・一品経和歌懐紙)

○人にかはりて

代作をしたということですが、誰に代わっての代作か不明です。

○わしの御山

インドにあって、釈迦が無量寿経、法華経などを説いた山とされて
います。鷲の形をした山で原名「グリゾラ・クーター(鷲の峰)」
と呼ばれていたそうです。そこから、霊鷲山(りょうじゅせん)とも
言われます。標高は高くはなくて、丘という感じでしょうか。
ブッダ(釈迦)が創始した仏教は、インドでは13世紀にほぼ消滅
しました。以来、霊鷲山も風化、荒廃して、その所在地さえも
分からなくなっていました。
1903年に日本の本願寺の大谷探検隊がジャングルに埋もれていた
山を発見して、その山を釈迦が説法していた霊鷲山と同定したもの
だそうです。

○月かげ

仏陀の存在を月になぞらえての言葉。月=仏陀という感覚。

○君ながむらむ

死亡した「君」が月(仏陀)を眺めているということ。

(13番歌の解釈)

「雲が晴れた霊鷲山に照る月―釈迦の姿を、あなたは澄みきった
悟りの境地で眺めていらっしゃることでしょうか。」
            (新潮日本古典集成山家集から抜粋) 

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     高野山を住みうかれてのち、伊勢國二見浦の山寺に侍り
     けるに、太神宮の御山をば神路山と申す、大日の垂跡を
     おもひて、よみ侍りける

14 ふかく入りて神路のおくを尋ぬれば又うへもなき峰の松かぜ
         (岩波文庫山家集124P羇旅歌・新潮欠番・
            御裳濯河歌合・千載集・西行物語) 

○高野山を住みうかれて

「高野」は地名。和歌山県伊都郡にある高野山のこと。
山は単独峰ではなくて、標高1000メートル程度の山々の総称です。
平安時代初期に弘法大師空海が真言密教道場として開きました。
京都・滋賀府県界の比叡山と並ぶ日本仏教の聖地です。
真言宗の総本山として金剛峰寺があります。
金剛峰寺には西行の努力によって建立された蓮華乗院がありまし
たが、現在は「大会堂」となっています。
西行は1148年か1149年(西行31歳か32歳)に、高野山に生活の場を
移しました。1180年には高野山を出て伊勢に移住したと考えられ
ますので、高野山には30年ほどいたことになります。

この間、高野山に閉じこもっていたわけではなくて、京都には
たびたび戻り、さまざまな場所への旅もしていますし、吉野にも
庵を構えて住んでいたことにもなります。

○伊勢國二見浦の山寺

この草庵の位置は二見浦の海岸線からは少し離れていて、安養山
(現在の豆石山)にあったそうです。

○伊勢の二見

三重県伊勢市(旧度会郡)にある地名。伊勢湾に臨んでおり、
古くからの景勝地として著名です。伊勢志摩国立公園の一部で、
あまりにも有名な夫婦岩もあります。日本で最初の公認海水浴場
としても知られています。西行は数年間、二見に住んでいました。

○太神宮の御山

伊勢神宮内宮の周囲の山。神路山のこと。

○神路山

伊勢神宮内宮の神苑から見える山を総称して神路山といいます。
標高は150メートルから400メートル程度。

○大日の垂跡

(垂迹と垂跡は同義で、ともに「すいじゃく」と読みます。)
本地=本来のもの、本当のもの。垂迹=出現するということ。

仏や菩薩のことを本地といい、仏や菩薩が衆生を救うために仮に
日本神道の神の姿をして現れるということが本地垂迹説です。
大日の垂迹とは、神宮の天照大御神が仏教(密教)の大日如来の
垂迹であるという考え方です。

本地垂迹説は仏教側に立った思想であり、最澄や空海もこの思想
に立脚していたことが知られます。仏が主であり、神は仏に従属
しているという思想です。
源氏物語『明石』に「跡を垂れたまふ神・・・」という住吉神社に
ついての記述があり、紫式部の時代では本地垂迹説が広く信じら
れていたものでしょう。
ところがこういう一方に偏った考え方に対して、当然に神が主で
あり仏が従であるという考え方が発生します。伊勢神宮外宮の
渡会氏のとなえた「渡会神道」の神主仏従の思想は、北畠親房の
「神皇正統記」に結実して、多くの人に影響を与えました。
                   (広辞苑から抜粋)

(14番歌の解釈)

「大日如来の本地垂跡のあとを思いつつ、神路山のおく深く
たずね入ると、この上もなく尊い、また微妙な神韻を伝える
峯の松風が吹くよ。」
          (渡部保氏著「山家集全注解」から抜粋)

(二見浦の西行)

西行の二見浦の草庵について興味深い記述があります。荒木田満良
(蓮阿)の「西行上人談抄」から抜粋します。
荒木田満良は伊勢神宮内宮の禰宜の一族であり、240Pに西行との
「こよひしも・・・」の贈答歌のある神主氏良の弟にあたります。
氏良と満良の兄弟を中心にして伊勢における作歌グループがあり、
西行はそのグループの指導的な位置にいたものと思います。

「西行上人二見浦に草庵結びて、浜荻を折敷きたる様にて哀なる
すまひ、見るもいと心すむさま、大精進菩薩の草を座とし給へり
けるもかくやとおぼしき、硯は石の、わざとにはあらず、もとより
水入るゝ所くぼみたるを被置たり。和歌の文台は、花がたみ、扇
ようのものを用ゐき(後略)」

生き生きとしたリアリティのある言葉で草庵の情景が描かれて
います。西行の二見の庵での生活のありようが容易に想像できる
表現です。
この草庵の位置は二見浦の海岸線からは少し離れていて、安養山
(現在の豆石山)にあり、三河の伊良湖岬に近い神島までが見えた
とのことです。
1180年からの伊勢在住時代の多くは、西行はこの庵を拠点にして、
伊勢の国の美しい自然に触れ、そして荒木田氏を中心とする人々
との交流を深める日々をすごしていたことでしよう。

しかし不思議なことに、伊勢在住時代の伊勢の歌が極端に乏しいの
です。伊勢神宮の歌はありますが、二見の歌や島々の歌などの多く
が、1180年からの二見で庵を構えて住む以前の歌と解釈できるの
です。二見に住んでからも島々を巡ったであろうことは容易に推測
できますし、なぜ二見に住んで二見あたりの歌が少ないのか、詠ま
なかったのか、それが謎です。
後世になり書写した人の手によって伊勢二見時代の歌が山家集に
補筆転入されたという可能性も考えられますが、伊勢神宮の多くの
歌が山家集にはないという事実から見ても、その可能性は低いと
みて良いと思います。
西行歌は散逸しているものが多いらしいのですが、もしそれが事実
なら、散逸した歌の中に、この時代の伊勢神宮以外の伊勢の歌も
多いのではなかろうか、と思わせます。

  遠く修行しけるに人々まうで来て餞しけるによみ侍りける

 頼めおかむ君も心やなぐさむと帰らぬことはいつとなくとも
     (岩波文庫山家集280P補遺・西行上人集追而加書・
                  新古今集・西行物語)

280ページにあるこの歌が、歌の配列などからみて、西行が二度目の
奥州行脚に旅立つ前に伊勢の作歌グループとの歌会で詠んだ惜別の
歌と見られています。口語体の分かりやすい歌であり、高齢に
なって長途の旅をする西行の心境が凝縮されています。
           (西行の京師第二部第11号から転載)

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